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工藤寛得 顕彰碑

碑文(書き下し文)
工藤寛得君碑 伯爵南部利淳題額 正五位谷河尚忠撰 大更村に工藤氏有り舊(ふる)きなり 君は其の支族にして始祖以来勤倹垂業 山林田園の利を増殖し旁(かたわ)ら商店を開き隣里の日用に供し其の富漸く本系の家産を超越す 君の身に及んで経営益々固し 君の幼稱は六太郎 夙に藩黌(はんこう)作人館に入り書を読むこと年あり更に東都に到り安井息軒の門に遊ぶ 頗る時務に通ず 帰郷の後民衆を啓迪(けいてき・教え導く)するを以って修正の志と為す。郷黌(村の学校)の創設、道路橋梁の改修新築等の□(擧)有るに及んで則ち率先之れを助成し用地を割譲して其の価を求めず金品を散出して樫(おし)む所なし 乃ち四隣の畏敬する所となり凡そ郷党の要議多く君に決す 令馨遠近に達し帝国貴族院の新立に会い岩手県管内多額納税者の推薦を以って同院議員の大命を拝し国会議場に参列すること両三回更攷(こう・かんがえること有りと称して乃ち辞職して家に還る 人に語って曰く 議論の大は実践の小なるに如かずと 専ら郷党の更新に従事し偉績荐(ぞん)著(数えたてられないほど著しい)なり 事官廳に聞こえて銀□(杯)木盃の賞典を受くること数次なり 惜しい哉明治四十四年病に罹り其の十一月十七日に遂に起たず 年六十四 君は本系工藤末吉次女を娶り一男二女を擧ぐ 男一郎は家を継ぎ長女は騎兵中佐工藤六郎に嫁ぎ次女は配を求めて家族となすと云う 大正三年春有志諸氏其の功徳を追懐し碑を建て腐朽に伝えんと欲し不肖をしてその文を撰せしむ 不肖君と旧交有るを以て固辞するを得ず乃ち梗概係以を敍す 銘に曰く 驕らず呑(りん)ならず 力を致し維周(これあまね)し 克く祖訓を継ぎ 克く孫謀(子孫のためのはかりごと)を貽(のこ)す 鷲獄之麓(しゅうがくのふもと・岩手山のふもと) 大更の郷 隆々たる家運 久しく炗(くわう・光、威徳)有り
大正七年歳次戊午夏六月 山口剛介書

名称
工藤寛得 顕彰碑
よみ
くどうひろなり(ひろのり)
分類
所在地
大更19(八坂神社)
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